「野球を愛しているんです」台湾を出てから20年超、変わらぬ思い
台湾と日本、さらに米国や豪州まで足を延ばした野球人生が、ついに終わりを迎える。NPBの2軍に参加するオイシックスは27日、陽岱鋼外野手の現役引退を発表した。日本ハムと巨人で16年間プレーし、NPB通算1164安打。ずば抜けた身体能力と明るいキャラクターでファンに愛された。2021年限りで巨人を退団してからは、米国や豪州でプレーし、最後は「2軍球団」オイシックスに身を投じた。NPB球団を離れてからの5年間には、いったいどんな意味があったのか。台湾出身の陽が海外で続けてきた「挑戦」をひもとく。
「野球を愛しているんですよね。自分が好きだからやりたいし、うまくなりたい、今でもそう思っています」
照れることなくこう言える選手が、どれだけいるだろうか。陽が生まれ育ったのは台湾の東海岸にある台東という町だ。台湾で「原住民」と呼ばれる先住民族・アミ族の出身。運動能力が高い子どもが多く、元中日の郭源治投手ら野球で名を成した選手も多い。陽も親族に台湾のプロ野球選手がいる家系で育った。2人の兄も野球選手だ。
ただ、福岡第一高に野球留学した当初は、自分がプロになれるとは考えていなかったという。「高校、大学に行って、その先に社会人があればいいなと思っていたくらい。高校2年生の頃かな、プロのスカウトが見に来てくれるようになったんですけど、最初はうちのチームのエースを見に来ているのかなと思っていたくらいで……」と笑う。
ドラフトでは、球史に残る事件にも巻き込まれた。2005年秋の高校生ドラフト1巡目で、ソフトバンクと日本ハムが競合。陽はソフトバンク入りを望んでいた。くじの誤認があり、一旦はソフトバンクに交渉権と発表された後、日本ハムに訂正された。当時の陽は今ほど、日本語が流暢ではなかった。あまりの急展開に感情があふれた。涙を流し、入団を決めるまでには台湾に一時帰国したほどだった。
そして、日本で選手生活を送る上で「最初は本当にびっくりしました」ということがある。
最初は驚いた日本の習慣…米国でも繰り返した体当たり
まず当時、福岡第一高を率いていた平松正宏監督に圧倒された。「あの雰囲気、あの威圧感。これはもう悪いことしちゃダメだって、すぐ思いました」と苦笑い。「でも、本当に会えてよかったです」と懐かしむのは、しっかり帽子を取って挨拶するよう教えられたことだ。「日本の文化には上下関係、すごい縦社会がある。やっぱり厳しかったです。高校の監督もそうですし、プロに入ってからもいろんな人たちに教えられましたね」。そして、その意味に気づくまでに、時間はかからなかった。
「先輩にしっかり挨拶をする。日本では当たり前のことです。帽子も、サングラスも取らないと。しっかり大きな声であいさつした先輩が僕のことを覚えてくれて、つながっていくじゃないですか。『あいつ来るの遅いな』みたいに冗談で言いながら、教育してくれたんです。(森本)稀哲さんとか、稲葉(篤紀)さんとかが」
日本ハムで先輩に可愛がられ、やがて中堅のレギュラーをつかむ。ゴールデングラブ4回、盗塁王1回という実績以上に、華やかなプレーでスタンドを沸かせた。そして巨人にFA移籍。5年契約が終わる2021年のオフに、自ら退団を選択する。
「もう、後はないなと思っての行動でした。違う視野を得るために、アメリカで勝負しようと思ったんです」
巨人からは再契約を提示されていた。それを蹴ってまで、翌2022年は米国の独立リーグに身を投じた。さらに冬も豪州のウインターリーグでプレーし、2023年には米国の独立リーグで最もレベルが高いとされるアトランティック・リーグのハイポイント・ロッカーズに加入。打率.271、10本塁打という成績を残した。
日本でつかんだ居場所を手放しての挑戦で、再び試行錯誤。必要なのは自ら異国の文化に近づき、全力でぶつかること。日本で繰り返したのと同じだった。
「試合に出るには、チームでの勝負に勝たないといけない。そのためにはまず、飛び込むしかないと思ったんですよね。通訳がついていたら、なかなか認めてもらえない。だから1人で行って、みんなと一緒に生活して、英語を覚えようとするのを見て『何だこいつ、クレイジーだな』と思ってくれるようになった。あと、全力プレーがチームに伝わったのもあると思います。見ていてくれる人はいるんですよ。やっぱり」
オイシックスでNPBを目指す選手に伝えたかった「自分で見つけないと」
2024年、オイシックスに加入してからは、若い選手に背中を見せる立場になった。「もう40になるんですよ。おっさんですよ」と口にし、スピードも体のキレも「若い子には負けますよ」と、衰えを感じなかったと言えばウソになる。キャンプで話を聞くたびに、現役生活の終わりも「見えています」と口にしていた。そんな中で、NPBのドラフト指名を目指す選手たちに、伝えたかったことがある。
オイシックスに加入した直後、球場で陽に「あそこにいる24番、いいでしょう。僕の若いころに似ているかもしれません」と言われたことがある。視線の先にいたのは、2025年秋のドラフト会議で巨人に指名され、支配下昇格も果たした知念大成外野手だった。ただ、陽は続けた。
「でもね、本当にNPBに行きたいのなら、もっともっと練習しないと。ここのみんなに言えることです。だって僕、やりましたからね」
陽は、決して順調にレギュラーを取った選手ではない。日本ハムでの1年目、終盤に1軍昇格のチャンスがあったものの、出場することなく2軍に逆戻り。その年、2軍で遊撃と三塁を守って記録した30失策は、リーグワーストだった。両打ちに挑戦したこともある。やがて外野転向が、花開くきっかけとなった。自分にしかないものを試行錯誤の末に見つけ、伸ばして居場所をつかんだのだ。これに時代は関係ない。
「自分に何が足りないかがわからなければ、成長しないと思うんですよね。だからオイシックスの選手も、何でNPBに行けないのか、原因を自分で見つけないといけない。NPBにはこれだけ多くの選手がいて、足が速い選手も、打てる選手もたくさんいる。どこかで自分だけの良さを出さないといけないんです」
引退表明直前のある試合。出番のなかった陽は、イニング間のたびにベンチ脇でスイングを繰り返していた。そして明るい口調で、ベンチに帰ってくる若手に向けて繰り返した。「もっとアピールしろよ!」。それは台湾を飛び出し、海外で居場所を作り続けてきた陽の人生そのものだ。
現役生活を終えても、進む道はきっと野球の世界にあるはずだ。「気付いたんですけど、僕は選手見るの好きだなって思うんです。この選手、伸びそうだなと思って見るのが楽しい。教えることは難しいけど、一番楽しいかなって」。4か国を回って広げた見聞を、還元するのはどこになるのか。
(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)












