2軍球団に現れたくせ者…首位打者を独走する廣澤新太郎とは何者?
プロ野球の2軍ファーム・リーグは1軍より一足早くオールスター休みを迎えている。ここまで打率.319で、中地区の首位打者を独走しているのが「2軍球団」ハヤテに今季入団した廣澤新太郎外野手だ。今年3月に25歳を迎えた遅咲き選手は、どのような道をたどって表舞台に出てきたのか。聞いてみると、意外な過去があった。
「怒られながら試合に出たり出なかったりで……。なんか常に崖っぷちでした。中学や高校の頃は」
少年時代の自身をこう表現する廣澤は、九州アジアリーグの大分、BCリーグの茨城と独立リーグで5年プレーして、今季からハヤテに加わった選手だ。初めて戦うNPB2軍で、開幕から絶好のスタートダッシュを決めた。3、4月に残した成績は、25試合で中地区トップの打率.344、33安打。さらに10盗塁も記録した。NPB2軍に参加して3年目のハヤテから、初の月間MVPに輝いた。
「自分本来のスタイルを表現できたと思います」というこの期間。廣澤はゾーンギリギリのボールをファウルでカットしながら、打てるボールを待っていく。ただファウルを狙って打っているわけではない。「逆方向に打ちに行こうとするのが自分のスタイルです。その時の体や力の向きがいいと、ゾーンギリギリのボールに届くんです。それがファウルになるんでしょうね」。このスタイルは独立リーグで過ごした5年間で、苦心の末につかんだものだ。
大阪出身で、高校は地元を離れて福岡工大城東へ進んだ。「僕、根尾世代なんで」と言うように、根尾昂投手(中日)や藤原恭大外野手(ロッテ)が注目された2000年度生まれの一員。最後の夏は背番号9をもらい、福岡大会の2回戦で終えた。ただ当時の自分を振り返れば「背も低くて小柄で、レギュラーバリバリとかじゃなかったので、なんか常に瀬戸際っていう選手」だったと笑う。
そこから硬式野球部を持つ専門学校「九州総合スポーツカレッジ」に進み、2年間学んだ。プレーの舞台は社会人野球。「厳しかった中高と逆に、のんびりプレーできていたんです。楽しかったので、もうここで野球をやめてもいいな、スポーツトレーナーになろうかなと思っていたら……」。顧問や親の猛反対にあった。
とはいえこの時点では、何の実績もない選手。進める道は多くない。ただこのタイミングで、九州に新たな独立リーグが誕生するという幸運があった。「とりあえず、トライアウトだけでも受けて来い」と、大分のトライアウトに送り出され、ぜひ来てくださいという言葉とともに合格をつかんだ。「それなら別にやめることもないかというくらいの感じで……」。NPBはまだ、頭の片隅にもなかった。
千賀から3打数3安打も…ドラフト指名がなかった4年間
大分ではNPBキラーとして名をはせた。1年目の6月、調整で3軍交流戦に登板した千賀滉大投手(ソフトバンク=現メッツ)から3打数3安打。上の世界を目指していけるのではないかと思える打席だった。
「3月に開幕して、5月くらいまで本当に打てなかった時に試合があったんですよ。その時はたまたまだと思ったんですけど、ちょっとずつ打てるようになって……」
ソフトバンク3軍との交流戦が多く組まれる環境で自信をつけていった。他にも「大津(亮介)投手も2安打、大関(友久)投手も2安打、あと杉山(一樹)投手からも打って……」。2年目になると、スカウトが見ているという話も耳に入るようになる。遠く感じたプロ野球が、意外と手の届くところにあるのではないかと感じ始めていた。
「夢だったものが、現実に目指せるのではないかと思うようになりました。4年間やって、成績が良かった年もあったんですけど、結果的にはドラフトにかからなくて……」
昨年は、よりスカウトの目につく環境を求めて、BCリーグの茨城へ移籍した。「年齢的にも、同じ独立リーグでやるのなら、例えば長打力を上げるとかちょっと変わった一面を見せないと、インパクトがないと思ったんです」。スイングをより強く、結果的に長打も増やしたいと肉体と打撃の改造に踏み切った。打率.299、35盗塁という成績を残したが、またもドラフト指名はなかった。20代も後半に入り、オフにはさらに決断を迫られた。
「結果的にまたドラフトにかからなくて。そこでもう1年独立リーグでやるというのは、ちょっと上への現実味がなくなると思ったんです」。考えたのが2軍球団でのプレーだった。オフのトライアウトを受け合格。「このカテゴリーで数字や印象を残せたほうが、ラストの勝負となったときに評価を高められると思ったんです」。実はハヤテのトライアウトには1年前に落ちている。合格できたことがレベルアップの証拠だった。
「どうせこのレベルで勝負するなら、元々の自分のスタイルで勝負したいな」と、コンタクトとスピードを重視する打撃に戻してみると、茨城で過ごした1年は決して無駄ではなかった。体の強さがプラスされて「それがうまくはまった感覚はあります」。独立リーグでの5年間が、現在NPB2軍で残す好成績のベースになっているのだ。
小園や藤原を見て「全然違う世界の選手」と感じた少年の巻き返し
大阪育ちの廣澤は、中学時代にはボーイズリーグの名門・ジュニアホークスでプレーした。同世代の藤原や小園海斗(広島)が対戦チームにはいた。ただ当時の廣澤にとっては「自分は背も低くて、バリバリのレギュラーとかじゃなかったので、全然違う世界の選手みたいに見ていました」という存在だった。
それから10年近くかけて、実力を少しずつ蓄えてきたことになる。遅咲きの道を歩んだ原因の一つではないかと廣澤が考えているのが、早生まれだったこと。3月22日生まれで、10日遅ければ学年が一つ下だったのだ。
当時は思い悩んだという。「常に背の順は前のほう、同い年なのに周りはみんなデカいみたいな感じがずっとありましたね。1個下の学年で4月生まれの選手がいると、ほぼ同い年なわけですよ。もしそっちの学年だったら、体格の違いに悩むこともなくて、野球人生も違ったかもしれないなとか思ったこともありますね」。少年時代から活躍できる選手に、より多くの選択肢が開けるのは、現実としてある。
現在では身長177センチ、体重75キロと人に見劣りする体格ではない。高校で背が伸び、成人してからも一つ一つ武器を身につけてここまで来た。NPBのドラフト指名を受けるためには、あと何が必要だと考えているのだろうか。
「自分のスタイルで数字を残せれば、評価してもらえると信じてやっています。その中では打率と盗塁ですかね。その数字が他の12球団の選手と同じくらいだと、もういらないということになると思うんで。打つだけではないという部分を見せるために、盗塁もどんどん伸ばしていきたいと思っています」
前半戦を終えての打率.319は、現在2位の仲三優太(西武)に.045の大差をつけて中地区トップを独走。26盗塁も1位だ。チームからは、行けると判断した時に走っていいという“グリーンライト”の権利を与えられている。出場が決まっているフレッシュオールスター(27日、新潟)も、大事なアピールの場だ。昨年、同じ2軍球団のオイシックスから出場した知念大成外野手が本塁打を放ちMVP。秋のドラフトでは巨人から育成指名を受けた。廣澤と同じ“根尾世代”だ。遅咲きの花として、後に続けるだろうか。
(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)












