帰国後、父・正利さんが語った舞台裏
女子ゴルフの全英女子オープンで優勝し、日本勢7人目(8度目)の海外メジャー優勝者となった桑木志帆(大和ハウス工業)は4日に凱旋帰国。都内で記者会見した。快挙達成後、現地観戦した両親と交わした言葉は、「チャーハン取ってちょうだい」のみだったと明かした。だが、桑木は両親に深く感謝し、両親は娘のことを「今後も浮つかない」と信頼している。父・正利さんの「今に見とれ」から始まった歩みをここで紹介する。(取材・文=柳田通斉)
会見で桑木は「優勝後、両親とどんな言葉をかわしたか」と聞かれ、「ご飯を食べている時だったので、『チャーハンちょうだい』って言いました(笑)」と明かし、取材陣を笑わせた。
確かに現地では抱き合う場面もなかった。ただ、桑木はグリーン上での優勝スピーチの際、真っ先にこう言った。
「両親に感謝したいです」
正利さん、母・浩子さんは、その言葉だけで十分だった。表彰、取材対応、サインなどで忙しくする娘を見守るのみ。家族用の親子記念3ショットも撮っていなかった。コース内でのチャンピオンズディナーの際には、遅れて席に着いた桑木の第一声が「チャーハン取ってちょうだい」。正利さんがその時の様子を明かした。
「志帆は別テーブルで72枚のフラッグにサインを終えて席に着いたのですが、いきなり『チャーハン取ってちょうだい』でした。かなり、空腹だったんでしょうね(笑)。その後もバタバタで会話する間もなかったんです」
コースを離れると、帰国まで別々に行動。正利さんはLINEで「お疲れさま。忙しくなるかもしれないけど体調気をつけて」と送り、桑木は「ありがとう」と返していた。ただ、家族で出かける計画はあるという。
「前に『ショッピングにみんなで行きたい』って話してたので、親に恩返しじゃないですけど何か買ってあげたいなと」(桑木)
桑木は4歳の時、正利さんに連れて来られた練習場でゴルフに興味を持った。すぐに練習に夢中になり、正利さんは「空振りもしないし、センスがある」と、その可能性を真っ先に信じたという。小学生になると父子で「プロを目指す」と宣言。浩子さんから「そんな夢みたいなことを」と言われると、正利さんは「今に見とれ」と返したという。
父は厳しい指導で反省「怒って志帆のお尻に…」渋野、恩人と歩んだ岡山生活
仕事は障害者施設の職員。決して裕福ではなかったが、やりくりをして練習、ラウンド代、遠征費をねん出した。まさに二人三脚の歩み。その過程では、厳しく指導して正利さん自身が反省したこともあった。
「私が怒って志帆のお尻にボールを投げつけたことがありました。志帆は『ごめんなさい』と言いました。そこで私は『一生懸命やっているのに、何でこんなことを言わせてしまったのか』と我に返りました」
正利さん自身は普通のアマチュアゴルファーだが、桑木のスイングは父子で大好きな宮里藍を参考に築いてきた。専門家から本格的に指導を受けたことはなかったが、ジュニア大会で成績を残し、地元・岡山で4学年上の渋野日向子の背中を追い続けた。
高校2年の2019年夏、渋野が全英女子オープンで優勝を飾った。当時、渋野はRSK山陽放送(本社・岡山市)の所属。同社の桑田茂社長は、その時点で「岡山から次に来るのは桑木」と公言し、正利さんともやり取りを重ねていた。
「志帆は桑田社長にとてもかわいがっていただきました。ラウンドをご一緒した際も、地元企業の方々を紹介していただいたことで、プロテストに合格してすぐにたくさんのスポンサーが付きました。桑田社長が『桑木をよろしく頼む』と言っていただいていたお陰です」
だが、桑田さんは2021年4月9日、68歳で亡くなった。突然の別れだった。その2か月後の同6月、桑木はプロテスト一発合格を果たした。
翌22年からレギュラーツアーを転戦。正利さんは退職し、娘と行動をともにした。各地で車を運転し、暑い日も寒い日も、コースを回って娘のプレーを追い続けた。手にしていたのはキャンパスノート。正利さん自身がフリーハンドで各ホールの図面を作り、娘の打球方向などを確認して書き込む。その後に桑木が距離や番手を加え、マネジメント会社がデータ化していた。
脳梗塞で父が倒れ…本気で怒った桑木の言葉
そんな正利さんは24年夏、北海道での大会期間中、コース内で倒れた。脳梗塞だった。桑木はプレーを終えた後、病院に駆けつけた。当時は多くの言葉を交わすことはない父子関係だったが、本気で「気を付けろ」と怒ったという。
その後、桑木はマネジャーを付けてツアーに帯同してもらっている。父は回復したものの、話し合って「優勝争いをした時の最終日や地元に近い大会だけ応援に来る」に決まった。
ただ、25年以降も、海外メジャー大会は初日から現地で見守っている。快挙達成の前、プレーオフの1ホール目で桑木が第1打を右のブッシュに入れた際は、夫婦で「プレーオフは国内で2戦2敗。2位でもメルセデス・ランキングで480ポイントか」と話していたという。
だが、桑木はその後に残り100ヤード地点からの第3打をピンそばにつけてパーセーブ。2ホール目では好ショットを重ねて決着をつけた。
結果、桑木は150万ドル(約2億3600万円)とともに米ツアーの5年シードを手にした。そして、来季からは同ツアーを主戦場にすることを宣言した。直後、筆者が正利さんに祝福のLINEメッセージを送ると、1時間後に返信があった。「やらかしました 笑笑 ありがとうございます」。照れ隠しも含めた喜びの表現だった。
そして、岡山市内の自宅に到着した後にはこう言った。
「天国で桑田さんが見守ってくれていたと思っています。受けた御恩は本人も私たちも忘れていません。志帆のいいところは、浮つかずに努力を続けられるところです。今後もこのまま地元岡山を大切にして、皆さんに恩返しをしてほしいです」
娘が海を渡ることで応援に行ける機会は限られるが、正利さんは「スポットで見に行ければ、それでいいです。あとはチームの方々にお任せします」と言った。
言葉は交わさなくても、22年オフに取り組んだスイング改造の際、桑木は正利さんにチェックを求めていた。理由は、一番長く近くで練習を見てくれたからだ。自身の性格を知り尽くす浩子さんも、何かあれば頼れる存在。そして、ともに「一番の味方」でいてくれる。
桑木家ならではの「独特の距離感」。それを維持したまま、23歳の桑木は栄光のロードを歩み続ける。
(柳田 通斉 / Michinari Yanagida)












