1年前、一度は決めた現役引退に家族から反対の声
プロ野球の日本ハムと巨人で通算16年間プレーし、今季まで3年間は「2軍専門球団」のオイシックスでプレーしてきた陽岱鋼外野手が1日、新潟市内のホテルで現役引退会見を行った。その席上で明かしたのは、1年前に引退を一度は決断したという意外な事実。逆転で現役生活が伸びるまでに、一体何があったのか。
陽は引退の理由を「自分に勝てなくなったから」と口にした。来年1月には40歳になる。オイシックスに戻ってきてからは「もうおっさんですよ」と笑うのを何度も聞いた。好守強打で売ってきた陽にとっては、悩みの時間でもあった。昨季イースタン・リーグで残した成績は40試合で打率.196、2本塁打。思うような成績を残せていないのは、自分が一番よくわかる。成績が全ての世界に生きる以上「ダメならクビになるだけ」と、心のどこかに覚悟があった。
陽はプロ野球の世界で活躍するための方程式を「自分の中の壁を乗り越えないといけない。人と勝負する前に自分と勝負しないといけない」と描いてきた。「自分に勝たないと人には勝てないから。去年いろいろチャレンジして、いい方向にいかないなと。もうこれ以上やったら、体が持つかなと、自分の体と相談しながらでした。筋力、体力、考え方もです」。解を導き出せなくなった自分がいた。
「だから本当は、去年で引退する予定だったんです」
最後には「自分に勝てない。頭は勝てるのに、体が動かない」と感じ、家族に告げた。「今年で引退する」と。ここで声を上げたのが、今年小学1年生になった長男だった。陽はこう振り返る。
「息子にもう1年見たいと言われたんです。体はキツかったですよ。でも息子が見たいと言うのであればと色々考えて、もう1年やった方がいい思い出になるんじゃないかと思ったんです」
闘っているのは選手だけではない…陽が子どもたちの学校で感動したこと
陽の家族は、2008年に結婚した謝宛容(シェ・ワンロン)夫人と、3人の子どもたち。今年で上から中2、小3、小1になる。陽のオイシックス入団とともに新潟に転居し、皆日本の学校に通っている。家庭では「僕が日本語で喋って、嫁は台湾語です」と複数の言語が飛び交うのだという。「だから子どもたちは両方の言葉がわかりますよ」という一方で、「子どもが一番大変だったと思う」と思いやる。
異文化に慣れるまでがどれだけ大変かは、日本の高校に通いながら言葉を身につけていった陽自身が、一番よくわかる。だから「学校を好きになってくれたのが一番よかったです。僕のせいで大変だったとは思うけれど」と胸をなでおろす。参観日や発表会に足を運ぶこともあった。
「子どもたちが練習して発表するの見るとね、やっぱり感動しますよ。成長してるんだなって感じますもん。自分が知らないことを身につけようと、努力してるのすごいなって」
最初の決断から1年経った今年、もう一度家族に引退すると伝えると「いいよ。引退したら、今度はパパが料理をやってくれるんなら引退していいよ」と言われた。引退会見で陽は、日本ハムで苦楽を共にした稲葉篤紀氏や今浪隆博氏を前に、涙をこらえきれなかった。会見後、夫人に電話すると長男は「なんでパパは泣いていたの?」と言いながらも、もう野球をしないということを理解していたのだろう。同じように涙を流していたのだという。
「オイシックスに来てからですかね。僕の仕事が野球だってわかってくれたのは。だからここでプレーできた3年間は、本当にありがたいんです。もしあの時、橋上さん(当時オイシックス監督、現巨人監督代行)が電話をくれなかったら、この姿は見せられていませんからね」
日本と台湾のどちらに拠点を置くかを含め「今度は家族のために。これまで迷惑をかけてきたので」と口にする。福岡第一高で指導を受けた平松正宏・元監督に引退を報告した時も、これからは家族の時間を大事にするよう言われた。日本と台湾という2つの文化を楽しみ、時には乗り越えてきた陽ファミリー。ファンを魅了するスーパープレーは、決して一人で成し遂げたものではなかった。
(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)












